今年も梅雨の時期となりあちらこちらで紫陽花の花が色とりどりに咲いているのを見かけます。この時期に咲いているので水が沢山いるのかと思っていたのですが同時にしっかりと太陽の光が必要な花だと知って雨の似合う花のイメージが変わりました。
子供の頃、父が黒板に1ヶ月の予定を書いていました。6月の予定には毎年「夏安居」と書いてありました。聞き慣れない言葉に「それ何?」と聞くと:「知恩院に行って修行する期間やで」と教えてくれましたが安居とは何なのか不思議に思っていました。
安居とは一定期間、外出せずに、寺にこもって修行する事で雨から生まれた雨期を意味する言葉だそうです。
仏教の発祥の地インドでは6~10月頃、雨期となります。雨期には川が氾濫し、交通が困難になります。また、この時期は草木や虫がよく成長する時期にあたります。足元の悪いこの時期に外出し、小虫を踏み潰したり、新芽を痛める恐れを考えると、出かけないのが一番、洞窟や寺にこもって修行に専念することになりました。これを安居とよびました。
当時の安居中の食事は在家の信者が運び、修行者から説法を聞くことを習いとしました。
この安居のための居場所が、お寺の始まりであったようです。この時代の寺は修行者たちの居住する場所であり、現在のような仏様をまつる寺ではありませんでした。
お釈迦様は最初に鹿野苑、2~4回目が竹林精舎、5回目が大林精舎、以降44回目まで安居をおこなわれたそうです。私たちがよく耳にする祇園精舎も安居の場となる時がありました。
私たちに馴染みの深い平家物語の中に出てくる祇園精舎は古代インドのコーサラ国の都シラーヴァスティー(舎衛城)にあった精舎の名でシラーヴァスティーのスダッタ(須達しゅだつ)長者が私財を投じて,ジェータ(Jeta,祇陀ぎだ)太子の園林を買い取って,釈尊とその教団のために建てた僧房の名です。
ジェータ太子の苑林であるから,<祇樹ぎじゅ><祇園>などと漢訳され、スダッタ長者は貧しい孤独な人々に食を給したので,<祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)とも漢訳されてここで、釈尊によって多くの説法がなされたそうです。
安居期間は、4/16からの90日間とされています。安居は雨季に行われるので雨安居、またその期間が夏なので夏安居と呼ばれています。
インドは広いので、地域により雨期にズレがあります。そこで参加者のことを考えて、前中後の3種類の安居期間がありました。
4/16からを前安居、5/16からを後安居、その中間4/17~5/15の間に始めるものを中安居と呼び、安居の初日は、夏安居の制度を結ぶ、との意味で結夏(けつげ)あるいは結制(けつせい)と呼ばれます。
最終日は、夏安居の制度を解くので解夏あるいは解制と呼ばれます。
安居の最終日には、参加者全員による反省と懺悔の会が催され、修行者に対する色々な供養も行われ、終わると修行者は各地へ出発しました。
この最終日の修行者に対する供養が、お盆のいわれにつながっていると記されています。
日本には雨期がないので形が変わり、夏安居のほかに秋安居、冬安居などが生まれ、国土安穏や長寿息災を祈る法会形式となって伝わりました。
期間は宗派により異なり、一定していませんが、夏安居は旧暦の4/16~7/15日の三ヶ月間が基本とされています。
日本の安居は天武天皇の時代に宮中で行われたのが最初といわれており、延暦25年桓武天皇の命により、15大寺と諸国の国分寺で安居が行われ、以後、官寺の恒例行事となりました。
そして平安時代以後になると、安居は一般寺院でも盛んに行われました。特に禅系統の寺では安居がよく行われ、形はだいぶか変わりましたが、現在でも夏と冬に安居が行われています。
冬の安居は冬安居または雪安居と呼ばれ、10/16~1/15または11/16~2/15の期間に行われます。
現在、浄土宗の僧侶は期間は短くなりましたが夏安居と冬安居の二回、本山に於いて修行しています。