7月15日に知恩院で勤められた盂蘭盆会について檀家さんから「毎年8月17日に正縁寺で勤まる施餓鬼会と同じですか?何故7月に勤められるのですか」と聞かれました。
施餓鬼とは餓鬼道(がきどう)で苦しむ衆生に食事を施して供養することで必ずしもお盆の時期にやる行事ではありません。
盂蘭盆(お盆)とは、ご先祖様の御霊を祀りその冥福を祈る行事の事です。
施餓鬼は:「救抜焔口陀羅尼経」(ぐばつえんくだらにきょう)を典拠とするもので、由来をたずねてみると、お釈迦様の弟子で多聞第一といわれる阿難(あなん)尊者が瞑想していると、焔口(えんく)という餓鬼が現れました。餓鬼の姿は、痩せ衰えて枯れ細り、口からは火を吹き、髪は乱れ、喉は針の先のように細い、醜いものでした。
餓鬼は阿難尊者に「お前の寿命はあと三日で尽き、私のような餓鬼に生まれ変わるだろう」と言いました。驚いた阿難尊者は、お釈迦様に相談すると「食物をお供えし、お経を唱えて加持祈祷すれば、食物は無限に増し、多くの餓鬼に施され、救われます。施主であるあなたの寿命も延び、悟りを得ることができるでしょう。」と言われました。阿難尊者は早速その通りに法要を営み、その功徳によって餓鬼は天に生じ、阿難は福徳と寿命を増長しました。とあります。
盂蘭盆会は:「仏説盂蘭盆経」を典拠としており、お釈迦様の弟子で神通第一といわれる目連(もくれん)尊者が、父母の恩に報いようと思い神通力で亡き母を探したところ、餓鬼道に堕ち、飢えて全身骨と皮になって痩せ衰えて見るからに哀れな姿になって苦しんでいました。目連尊者は神通力で食べ物や飲み物を鉢に盛って供養しようとし、母は喜んで食べようとしましたがたちまち燃えてしまい母は口にすることができません。
大声でなき悲しんだ木蓮尊者お釈迦様に母を救う方法を尋ねたところ、お釈迦様は静かに「木連よ、汝の母の犯した罪はあまりにも深く、それに比べて汝の修行は日が浅いので一人の力ではなんともすることが出来ない。しかし、幸いにも7月15日の僧自恣(そうじし)の日が間近い、その日は雨季にあたってたくさんの僧が一党に集まり、それぞれが過去を反省懺悔してさらに仏道の修行に勤しもうとする、またその日を仏歓喜(ぶつかんぎ)の日とも言ってめでたい日でもある。この日に沢山のご馳走を諸仏衆僧にお供えして、生の父母、亡世の父母の為に苦を祓い楽を与えてくださるよう回向を頼みなさい。沢山の僧が心から唱える回向の功徳は広大無限であるから現在世にある父母は百歳の寿命を保ち、今は亡き亡世の父母は餓鬼道から救われるであろう」と言われました。目連尊者がその通りにすると、母は餓鬼の苦しみから救われました。
お釈迦様は未来に於いても孝順の為に盂蘭盆の供養を捧げれば現生の生みの父母、過去亡世の父母にその功徳は及ぶと教えられました。そして毎年7月15日日には盂蘭盆会を営む事を勧められ、その場に集うお釈迦様の弟子たちはその教えを聞いて心から喜びその教えを実践に移したのが毎年7月15日に勤められる盂蘭盆会法要です。
その後祀れない餓鬼、無縁仏に供養してその功徳を死者の霊及び先祖代々の霊に振り向けて回向するというように盂蘭盆会と施餓鬼会を併修したものが一般的となっています。