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「ちーちゃんのかげおくり」

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2021.09.27

絵 上野紀子 作 あまんきみこ
1    「かげおくり」って遊びをちいちゃんに教えてくれたのは、お父さんでした。    
2    出征する前の日、お父さんは、ちいちゃん、お兄ちゃん、お母さんをつれて、先祖のはかまいりに行きました。その帰り道、青い空を見上げたお父さんが、つぶやきました。    
お父さん    「かげおくりのよくできそうな空だなあ。」    
お兄ちゃん    「えっ、かげおくり。」    
と、お兄ちゃんがきき返しました。    
ちいちゃん    「かげおくりって、なあに。」    
と、ちいちゃんもたずねました。    
お父さん    「十、数える間、かげぼうしをじっと見つめるのさ。十、と言ったら、空を見上げる。すると、かげぼうしがそっくり空にうつって見える。」    
と、お父さんが説明しました。    
お父さん    「父さんや母さんが子どもの時に、よく遊んだものさ。」    
お母さん    「ね。今、みんなでやってみましょうよ。」    
と、お母さんが横から言いました。    
 ちいちゃんとお兄ちゃんを中にして、四人は手をつなぎました。そして、みんなで、かげぼうしに目を落としました。    
「まばたきしちゃ、だめよ。」    
と、お母さんが注意しました。    
「まばたきしないよ。」    
3    ちいちゃんとお兄ちゃんが、やくそくしました。    
「ひとうつ、ふたあつ、みいっつ。」    
と、お父さんが数えだしました。    
「ようっつ、いつうつ、むうっつ。」    
と、お母さんの声も重なりました。    
「ななあつ、やあっつ、ここのうつ。」    
ちいちゃんとお兄ちゃんも、いっしょに数えだしました。    
「とお。」    
4    目の動きといっしょに、白い四つのかげぼうしが、すうっと空に上がりました。    
「すごうい。」    
と、お兄ちゃんが言いました。    
「すごうい。」    
と、ちいちゃんも言いました。    
「今日の記念写真だなあ。」    
と、お父さんが言いました。    
(間)    
5     次の日、お父さんは、白いたすきをかたからななめにかけ、日の丸のはたに送られて、列車に乗りました。    
「体の弱いお父さんまで、いくさに行かなければならないなんて。」    
お母さんがぽつんと言ったのが、ちいちゃんの耳には聞こえました。    
6     ちいちゃんとお兄ちゃんは、かげおくりをして遊ぶようになりました。ばんざいをしたかげおくり。かた手をあげたかげおくり。足を開いたかげおくり。いろいろなかげを空に送りました。    
7     けれど、いくさがはげしくなって、かげおくりなどできなくなりました。この町の空にも、しょういだんやばくだんをつんだひこうきが、とんでくるようになりました。そうです。広い空は、楽しい所ではなく、とてもこわい所にかわりました。    
(効果音:空襲警報)読み方 速度を上げる    
8     夏のはじめのある夜、空しゅうけいほうのサイレンで、ちいちゃんたちは目がさめました。    
「さあ、急いで。」    
お母さんの声。    
9     外に出ると、もう、赤い火が、あちこちに上がっていました。    
10     お母さんは、ちいちゃんとお兄ちゃんを両手につないで走りました。    
 風の強い火でした。    
11    「こっちに火が回るぞ。」    
アンサンブ    こっちに火が回るぞー    
12    「川の方へにげるんだ。」       
コーラス    川の方へにげるんだ。    
だれかがさけんでいます。    
13     風が    
+ア    あつくなってきました。    
ほのおのうずが    
+コ    追いかけてきます。    
お母さんは、ちいちゃんをだき上げて走りました。    
「お兄ちゃん、はぐれちゃだめよ。」    
14    お兄ちゃんが転びました。    
15    足から血が出ています。    
14    ひどいけがです。    
14+15    お母さんは、お兄ちゃんをおんぶしました。    
「さあ、ちいちゃん、母さんとしっかり走るのよ。」    
 けれど、たくさんの人に追いぬかれたり、ぶつかったり―、    
アンサンブ    ぶつかったり、追いぬかれたり―    
ちいちゃんは、お母さんとはぐれました。    
(お母さん、お兄ちゃん後方へ下がる)    
「お母ちゃん、お母ちゃん。」    
ちいちゃんはさけびました。    
15     そのとき、知らないおじさんが言いました。    
(おじさん前へ)    
おじさん    「お母ちゃんは、後から来るよ。」    
そのおじさんは、ちいちゃんをだいて走ってくれました。    
読み方 速度落とす    
16     暗い橋の下に、たくさんの人が集まっていました。ちいちゃんの目に、お母さんらしい人が見えました。    
「お母ちゃん。」    
と、ちいちゃんがさけぶと、おじさんは、    
「見つかったかい、よかった、よかった。」(おじさん下がる)    
と下ろしてくれました。    
 でも、その人はお母さんでは。ありませんでした。    
 ちいちゃんは、ひとりぼっちになりました。ちいちゃんは、たくさんの人たちの中でねむりました。    
17     朝になりました。町の様子は、すっかり変わっています。あちこち、けむりがのこっています。どかがうちなのか―。    
(おばさん前へ)    
おばさん    「ちいちゃんじゃないの。」    
という声。ふり向くと、はす向かいのうちのおばさんが立っています。    
「お母ちゃんは。お兄ちゃんは。」    
と、おばさんがたずねました。ちいちゃんは、なくのをやっとこらえて言いました。    
「おうちのとこ。」    
「そう、おうちにもどっているのね。おばちゃん、今から帰るところよ。いっしょに行きましょうか。」    
おばさんは、ちいちゃんの手をつないでくれました。二人は歩きだしました。    
18     家は、やけ落ちてなくなっていました。    
「ここがお兄ちゃんとあたしの部屋。」    
ちいちゃんがしゃがんでいると、おばさんがやって来て言いました。    
「おかあちゃんたち、ここに帰ってくるの。」    
ちいちゃんは、深くうなずきました。    
「じゃあ、だいじょうぶね。あのね、おばちゃんは、今から、おばちゃんのお父さんのうちに行くからね。」(おばさん下がる)    
ちいちゃんは、また深くうなずきました。    
19     その夜、ちいちゃんは、ざつのうの中に入れてあるほしいいを、少し食べました。そして、こわれかかった暗いぼうくうごうの中でねむりました。    
「お母ちゃんとお兄ちゃんは、きっと帰ってくるよ。」    
20     くもった朝が来て、昼がすぎ、また、暗い夜がきました。ちいちゃんは、ざつのうの中のほしいいを、また少しかじりました。そして、こわれかけたぼう空ごうの中でねむりました。    
(音楽)    
21     明るい光が顔に当たって、目がさめました。    
「まぶしいな。」    
 ちいちゃんは、暑いような寒いような気がしました。ひどくのどがかわいています。いつの間にか、太陽は、高く上がっていました。    
22     そのとき、    
「かげおくりのよくできそうな空だなあ。」    
というお父さんの声が、青い空からふってきました。    
「ね。今、みんなでやってみましょうよ。」    
というお母さんの声も、青い空からふってきました。    
 ちいちゃんは、ふらふらする足をふみしめて立ち上がると、たった一つのかげぼうしを見つめながら、数えだしました。    
「ひとうつ、ふたあつ、みいっつ。」    
23    いつの間にか、お父さんの低い声が、重なって聞こえだしました。    
「ようっつ、いつうう、むうっつ。」    
お母さんの高い声も、それに重なって聞こえだしました。    
「ななあつ、やあっつ、ここのうつ。」    
お兄ちゃんのわらいそうな声も、重なってきました。    
「とお。」    
ちいちゃんが空を見上げると、青い空に、くっきりと白いかげが四つ。    
「お父ちゃん。」    
ちいちゃんはよびました。    
「お母ちゃん、お兄ちゃん。」    
 そのとき。    
体がすうっとすきとおって、空にすいこまれていくのが分かりました。    
24     一面の空の色。ちいちゃんは、空色の花畑の中に立っていました。見回しても、見回しても、花畑。    
「きっと、ここ、空の上よ。」    
と、ちいちゃんは思いました。    
「ああ、あたし、おなかがすいて軽くなったから、ういたのね。」    
25     そのとき、向こうから、お父さんとお母さんとお兄ちゃんが、わらいながら歩いてくるのが見えました。    
「なあんだ。みんな、こんな所にいたから、来なかったのね。」    
ちいちゃんは、きらきらわらいだしました。わらいながら、花畑の中を走り出しました。    
(ゆっくり、はっきり)    
26     夏のはじめのある朝、こうして、小さな女の子の命が空に。    
 消えました。(悲しみを込めて)    
27    それから何十年。町には、前よりもいっぱい家がたっています。ちいちゃんが一人でかげおくりをした所は、小さな公園になっています。    
28     青い空の下、今日も、お兄ちゃんやちいちゃんぐらいの子どもたちが、きらきらわらい声を上げて、遊んでいます。

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