Blog ブログ

一枚起請文

ブログ

2022.01.23

1月25日は法然上人のご命日です。

法然様は建暦2年1月25日に80歳で京都・東山の大谷、現在の総本山知恩院の地でお亡くなりになられました。お浄土へとお帰りになる2日前の23日病床にあられた法然様の枕辺にいた弟子勢観房源智上人に「お師匠様、あなたさまが尊い80年の人生を用いて、我々にお教え下さいました南無阿弥陀仏の信仰の道を後の世のためにお書き残しいただけませんでしょうか」との願いに応えて一枚の紙に書きお授けくださった御遺訓が「一枚起請文」です。

一枚起請文を現代文に訳すると以下のような内容となります。

「私が説く念仏は 中国や我が日本のもろもろの知恵のある方がおしえてくださる観念の念とはちがう。
心をこらして仏さまのお姿を見奉ろうとする観念の念仏ではありません
また学問をして 念仏の意味を理解してとなえる念仏でもありません。ただ極楽浄土に往生するためには 南無阿弥陀仏と声に出してとなえることによって必ず往生するのだと確信して念仏をとなえる以外 何も子細はありません。ただ、三心や四修というお念仏申すときの細かい心構え、そういう色々な難しい事を言うけれども皆結論として、南無阿弥陀にて往生するぞと思ううちに浄土宗の教えはこもっている。この他にもし私がさらに奥深いことを知っているというようなことがあるならば お釈迦さま阿弥陀さまの慈悲の心からはずれ 皆を幸せにしてやろうという本願による救いからもれてしまうでしょう。念仏を信じる人は たとえお釈迦さまの教えをよく学んでいても 自分は経典の一文さえわからないおろかな者と受けとめて 知識のない者と同じように智者ぶったふるまいをしないで ただひたすらに念仏をするべきです。これが浄土宗の教えに間違いないという証拠に、両方の手形を押しておきましょう。浄土宗の信仰の心構え、実際の行いはこの一枚に書き尽くした。私(源空/法然上人)が思うところは これ以外にありません。

私がお浄土へ帰った後、浄土宗の教えを間違わないように今源智の求めに応じてここに書き記しておきましょう。」

明後日のご命日には法然上人のご遺徳を偲んで一人一枚起請文を写経したり拝読するのも今の混迷した世の中にあって心落ち着く時間となるのではないでしょうか。

                                        合掌 

                                

この記事をシェアする